7月に鬱病になりました
こんにちは
実は今夏に鬱病を診断されたぽてとです。
ちょっと重い?話ですが最後まで宜しくお願いします。
私は7月末に精神病院にて鬱病を診断されました。
抑鬱なので、気分が落ち込む方です。
原因は分かってます。職場です。
先輩の紹介で車関係の技術職の会社に就きました。
元々はサービス業で店長だったのですが、コロナ禍という事もあり、先が見えづらかったので、転職を決めました。
技術職なんて当然未経験で未知の世界。
車は普段から乗りますが、いじる事はしないので、全く知識はありません。
入社当初は肉体的に辛かったです。
慣れない仕事、慣れない環境、久々の新人気分という事で、約1ヶ月は帰って即爆睡でした。
ただ、現場の人が良い人しかいなかった為、馴染む事ができ、やっていけそうと思えました。
私はいずれは起業し自分の会社を持ちたい。
障害を持っている人でも働ける会社を作り、居場所を作ってあげたい。そう思っています。
その志があるからか
「会社をもっと良くしたい」
「社員が働きやすい環境を作りたい」
そう思って働いていました。
それは前職の店長時代からも同じです。
その為、社長に会う度に経営やマネジメントについての質問や、改善提案をよくしていました。(新人なのに)
因みに社長は30代前半で私を紹介してくれた先輩の同級生なので、話しやすい環境でした。
その為、普段役員としか食事に行かない社長と食事に行く事は多々ありました。
社長に質問したり、提案をよくしていた為、入社2ヶ月で誰もいない部門に異動となり、そこの部門の再生を託されました。
(※私の入社前にその部門の社員が辞めてしまい、その部門は休眠状態でした。)
技術面では未熟だったので不安は多々ありましたが、「再生」という言葉にワクワクしていました。
しかしそこの部門に関しての知識、技術は0なので、元々その分野を過去にやっていた上司の方(現営業&嫌われ者)が指導員としてついてくれました。
やらなきゃ覚えないという事で、早速作業です。でもなにも分からない。指導員も自分の仕事で忙しい為教えてくれません。
その為、自分で調べながらやっていました。
もちろん進むはずもなく、指導員が来たら「遅いよ」「違うよ」と言われる末路。
その時は「すいません!」と言いながら「頑張らなきゃ」精神で作業してました。
余談ですが、その指導員はいくら体調悪くても地を這ってでも仕事に来いと言う系上司でした。
なんとか気合で1ヶ月を乗り切った後、部門ごとに今期の方針を発表していく、方針発表会がありました。私の部門は1人しかいないので、入社3ヶ月ながら、私が考え、発表しました。
そしたら、大盛況。
元々、経営やマネジメントへの意識は強いせいか、まともな発表ができたそうです(笑)
因みにその方針発表会の際に知ったのですが、私の部門の責任者は「取締役」の方がやってくれているそうです。たしかにたまに見に来てたのはそういう事か。知らなかった、、、
大盛況の方針発表会はさておき、翌日からは作業です。方針発表会で気合が入っているものですから、当然頑張ります。納期が迫っている時は深夜3時まで作業しました。帰って少し寝て8時には会社です。
それすらも、仕方ない。再生の為だ!と言い聞かせながら取り組んでました。
気づけば、営業も任されるようになってました。サービス業をやっていたせいか営業は好きでした。まだまだ経験、知識不足な事もあり、大変でしたが頑張りました。
もちろん現場の作業もある為、営業、現場、営業、現場の繰り返しです。帰るのはいつも最後でした。
私はずっと「頑張るしかない」「今は我慢」「休む暇なんてない」そう思っていました。
でも、深夜1人で作業していると、泣いている自分がいました。感情は分かりません。特に悔しいでもなく、悲しいでもないです。
ただ、ネガティブだった事は間違いありません。
気づけば、帰っても寝れなくなりました。
深夜に帰って、寝ないで朝仕事に行く事も多々ありました。
余談ですが、元々私はその会社では最年少で、後輩という事もあり、社員と接する時は良い意味でヘラヘラと明るく接していました。そのおかげか、皆さん気にかけてくださり、残っている私に対して「大丈夫か?」「手伝おうか?」と声をかけてくれました。それに対して笑顔で「大丈夫です!ありがとうございます!」と言うのがお決まりでした。
自分では気づかったのですが、私の様子のおかしさは指摘されて初めて自覚しました。
「顔色悪いよ」「大丈夫?」
いつもヘラヘラしていた私が暗かったので、すぐ変化に気づいたそうです。
当然「大丈夫」としか私は言えません。
ただ、その変化に私も気づいてきます。
一番焦ったのは、「何も考えられない」です。
今では、指導員がいなくても自分で調べたりしてなんとかやっていて、少なからず知識もついてきていたと思っていました。
ある日突然、何をしたら良いのか分からなくなってしまいました。
頭が真っ白というのはこの事か。って感じです。
しばらくぼーっとして、「はっ」となんとか作業に取り掛かります。
そして次に「集中力が無くなる」です。
今まではなかったミスが増えていきました。
気をつけているはずなのに。
なんかおかしいと思い始めました。
他にも食欲の減少や睡眠障害がありました。
でも、どうしたら良いかわからないし、自分に何が起きてるのかも分からない。とりあえず寝てないせいだと言い聞かせてました。
現場だけの人が参加する現場会議の議題で
「ぽてと(私)をどうにかしよう」と議題があがりました。
私は「えっ」となりました。
周りの人から見ていて、もう見ていられない状態、仕事環境だったようです。
そして私を紹介してくれた先輩が言いました。
「病院行ってこい」
翌日私は精神病院に電話をしました。
「原因が身体にあるかもしれないので、まずは内科に行ってみて下さい」と言われ、近所の内科に行った。
身体には異常はなかった。
そしてその翌日、精神病院に行き、問診票を記入した後、長々とカウンセリングを受けた。
問診票には「死にたいと思った事はありますか?」等が書いてあった。
「そりゃあるわ」と当てはまる数字を記入した。
カウンセリングの際に、憂鬱度的なグラフを見せられた。確実に問題のある結果だったらしい。
医師に聞いた。
「みんな死にたいって思ってるものじゃないんですか?」
「そんな事ないよ」
その時私は気づいた。
「自分がおかしいんだ」
「自分の考え方、性格のせいだ」
「自分が悪い」
翌日、仕事に行こうと思ったが、身体が起きなかった。行かなきゃと思うけど、ベッドから起き上がれない。
「もうダメだ」
その日から会社は休んだ。
責任者である取締役には連絡した。
休んでから3.4日後、指導員からLINEが来た。
「辞めるつもりか?お前の担当のお客様はどうする?損害賠償もあり得るぞ」
怖くて返信できなかった。
「もう死にたい」から「どうやって死のう」に変わっていった。
因みに、職場が実家から車で10分だったので、実家に住んでいた。しかし、参拝かけたくないので病気の事は言えず、会社に行く時間に家を出て、車でぶらぶら時間を潰し、夜家に帰る、これを毎日繰り返した。これもなかなかキツかった。
よく漫画とかであるリストラされたパパって感じ。
休職期間、現場先輩方は頻繁に連絡をくれた。
すごく嬉しかった。現場の人達は大好きだ。
維持でも早く復帰したい。そう思っていた。
休んで1ヶ月経って思った、「ダメだ」
復帰したいよりも恐怖が勝ってしまう。
またミスをする。指導員に何か言われる。
そう考えるだけで動悸が止まらない。、
休職期間は給料も出ないので、金銭的にも厳しい。
辞めて環境を変えるしかない。そう思い退職した。
今でも病気の事は家族には言えていない。退職した事は適当な理由を言った。
今ではかなり回復してきた。
憂鬱ピーク時の私は、全て抱え込みすぎていた。部門の再生を任されたこと。1人の部門であること。
そしてキャパオーバーに気づけなかった。
「自分なんて」「自分のせい」って何度も思った。「死んでやる」って何度も思った。
今でも正直思う。
こうしてしょうもないブログを書き始めたのは、何か動き出したかったから。トンネルから抜け出したかったから。
だいぶ端折りましたが、最後まで読んで頂きありがとうございます。
私も病気にかかるまで、なんとなく鬱って辛いんだろうなってわかってても、気持ち次第でしょと思ってました。
でも自分がなったからわかる。そんなに甘くない。
同じ悩み、鬱を抱えている方。
周りにそのような方がいる方。
相談、意見、お待ちしております。
私もまだ完治はしていません。
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